千個恩惠與眷顧 阿川弘之先生

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2015-08-07 06:00
盧千惠
昨天早上蔡錕燦先生聯絡過來說:「阿川弘之先生過世了。」日本有名的大作家,也是台灣人患難中朋友的過世,讓我有無限的感傷和感念。
一九六九年三月廿七日,在日本留學的台灣學生柳文卿突然被扣押強制遣送回國。柳文卿是台灣獨立建國聯盟的中央委員,當天禮拜六早上去移民管理局申請簽證延期時,得到的是不允許延期的回答,同時間受扣押,而在禮拜一早上被送上中華航空直抵松山機場。當時的中國國民黨,在戒嚴時期壓制異議人士的懲治叛亂條例二條一,唯一死刑的規定可適用在公開參加獨立運動的叛亂犯柳文卿。
看到國民黨政權勾結日本官員,用卑鄙的方法將留學中的學生推入火坑,不只我們獨立運動的同志,在日本的留學生,如熱鍋中的螞蟻,向身邊的日本朋友求救。很多教授、同學出來站在我們這一邊,呼籲日本政府不應該做這樣違反人權的措施。阿川弘之先生是組織「守護台灣青年人權會」的十一位委員之一。他在「讀賣新聞」的專欄,以「祖國和青年」為題,完整地將「柳文卿事件始末」寫出,並強調「一旦他們被遣送回國,就有可能被處死刑。當他們遇到可能受迫害的關鍵時刻,我們難道不能適用法律之前的從寬認定,讓他們在日本有安身之地嗎?」
幾年前,我送一本剛剛出版的新書請他指教。書裏有一段寫著我的父親因為相繼失去兩個女兒,在生下我之後,便祈禱上帝「請賜給這女兒千個恩惠與眷顧,讓她平安長大」而取我的名字「千惠」的事。他在讀後寫簡單一封信給我:「求神也祝福台灣有千個恩惠與眷顧。」
阿川弘之先生,再見,台灣人在患難中的朋友,請安息。(作者為前駐日代表許世楷夫人、兒童文學作家)

阿川 弘之(あがわ ひろゆき、1920年大正9年)12月24日 - 2015年平成27年)8月3日[1])は、日本小説家評論家

広島県名誉県民日本芸術院会員。日本李登輝友の会名誉会長。文化勲章受章。代表作に、『春の城』『雲の墓標』のほか、大日本帝国海軍提督を描いた3部作(海軍提督三部作[2])『山本五十六』『米内光政』『井上成美』など。

阿川は『私の履歴書』では、〔私の「履歴」を一と言で記せば、「地方の平凡な中流家庭に生まれ、小学校から大学まで、ごく平坦平凡な学生生活を送り、戦争中は海軍に従軍して多少の辛酸を嘗めたが、戦後間もなく志賀直哉の推輓により文壇に登場、以来作家としてこんにちに至る」、これだけである〕と回顧している[3]法学者阿川尚之は長男、タレントエッセイスト阿川佐和子は長女。

太平洋戦争を舞台に人々の苦悩や悲哀を描いた作家で、文化勲章受章者の阿川弘之さんが3日夜、東京都内の病院で亡くなりました。94歳でした。
阿川さんは大正9年に広島市で生まれ、東京帝国大学文学部を卒業したあと、予備学生として海軍に入り中国戦線に赴きました。
戦後は作家の志賀直哉に師事し、昭和27年に海軍の予備学生を主人公にした小説「春の城」を発表して読売文学賞を受賞しました。続いて昭和28年には広島の原爆を取り上げた「魔の遺産」を、また、昭和31年には死を目前にした若い特攻隊員の姿を描いた「雲の墓標」を相次いで発表しました。昭和41年に発表した「山本五十六」では新潮社文学賞を受賞しています。
阿川さんはみずからの海軍での体験や豊富な資料を基に、激動の昭和を生きた人々の苦悩や悲哀を浮き彫りにする作品を書き続けました。戦艦「長門」が戦後、アメリカの核実験で太平洋に沈められるまでの姿を克明に描いた「軍艦長門の生涯」など、綿密な取材に基づく格調高い文体の作品が評価され、平成11年には文化勲章を受章しています。
阿川さんは平成17年から戦艦大和の巨大な模型を展示する広島県呉市の海事歴史科学館「大和ミュージアム」の名誉館長に就任していました。
エッセイストの阿川佐和子さんは長女です。
阿川さんは3日の午後10時半すぎ老衰のため東京都内の病院で亡くなりました。

阿川弘之さんが名誉館長を務めていた広島県呉市の「大和ミュージアム」の戸高一成館長はNHKの取材に対して、「阿川さんは、文学者として海軍の姿を次の世代に伝えようと努力されてきた方で、私自身、大変面倒を見ていただきました。名誉館長を務めていただいたことはミュージアムとしても大きな誇りで、まだまだいろんなお話を伺いたかったので本当に残念です」と話していました。
一直線でさわやかですっきりとした日本人
亡くなった阿川弘之さんについて、交友のあった作家の半藤一利さんは、「最後に会ったのは10年ほど前の対談の席でしたが、『長いつきあいだったが半藤くんとはこれでさよならだ』と話していたのが印象に残っています。阿川さんは一直線で、さわやかで、こんなすっきりとした日本人はいなかったと思います。最近の日本の状況を見て彼がどう感じていたのか聞いてみたかったのですが、たぶん、つらい思いで見ていたのではないかと思います」と話していました。
信念を貫いた気骨のある作家
亡くなった阿川弘之さんについて作家の阿刀田高さんは、「自身の経験から特に海軍に対する愛着が非常に強く、当時の事実を忠実に描き出そうとした人でした。信念を貫いた気骨のある作家だと思います。ジャンルが違う私の作品についてもおもしろいと言って可愛がっていただきました。20年ほど前にマージャンや酒の席で時々ご一緒しましたが、わざと怖い顔を作ったあとでにこりと笑ってジョークを飛ばすなど、その人柄を敬愛していました」と話していました。

作家の阿川弘之さん死去 「山本五十六」・第三の新人
2015年8月5日20時53分

阿川弘之さん
 重厚な筆致で海軍軍人の人間像を描いた「山本五十六」「井上成美」などで知られる作家で文化勲章受章者の阿川弘之(あがわ・ひろゆき)さんが3日、老衰で死去した。94歳だった。葬儀は近親者で営まれる。

 広島市生まれ。旧制広島高校在学中に、小説を発表し始めた。1942年に東大国文科を繰り上げ卒業して海軍予備学生に。中国大陸で敗戦を迎え、捕虜生活の後、復員して故郷の惨状を目の当たりにした。

 46年発表の短編「年年歳歳」で復員体験を描き、志賀直哉に認められて文壇デビュー。その後も、志賀文学から学んだ端正な私小説を書いた。

 戦中、戦後の一途な青春像を描いた長編「春の城」(52年)で読売文学賞。広島原爆の後遺症に苦しむ人々を描いた「魔の遺産」、学徒出陣した特攻隊員の苦悩をテーマにした「雲の墓標」など、優れた戦争文学を著した。吉行淳之介、遠藤周作らとともに「第三の新人」とも呼ばれた。

 「山本五十六」を皮切りに伝記文学にも力を注ぎ、「米内光政」に続く海軍提督3部作の完結編「井上成美」で87年に日本文学大賞。94年には、師を描いた評伝「志賀直哉」で野間文芸賞を受けた。

 また、古びた機関車が主人公の童話「きかんしゃやえもん」は児童文学のロングセラーとなっている。

 79年に日本芸術院会員、99年に文化勲章を受けた。

 長男は慶応大学教授の阿川尚之さん、長女は作家・エッセイストの阿川佐和子さん。

海軍の歴史を通し、日本の近代や人間を見つめた作家で文化勲章受章者の阿川弘之あがわひろゆきさんが、3日午後10時33分、東京都内の病院で老衰のため死去した。

 94歳だった。告別式は近親者で行う。後日、しのぶ会を開く予定。

 広島県生まれ。東京帝大国文科卒。海軍士官として中国・漢口(現・武漢)で敗戦を迎え、1946年に復員。同年、「年年歳歳」を、志賀直哉の推薦で月刊誌「世界」に発表。戦中の青春群像を描く「春の城」で53年、読売文学賞。56年、実在の特攻隊員をモデルにした「雲の墓標」を発表した。

 真珠湾攻撃を指揮した連合艦隊司令長官の人間像を描いた「山本五十六いそろく」と「米内光政よない」「井上成美」の海軍提督3部作は、海軍提督の人間的実像に迫り、ベストセラーになった。

作家の阿川弘之氏が死去 文化勲章受章者、正論執筆メンバー
阿川弘之さん

 小説「雲の墓標」や評伝「山本五十六」など数々の戦争文学で知られる作家で、文化勲章受章者の阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏が3日、老衰のため死去した。94歳。葬儀・告別式は近親者で行う。後日、しのぶ会を開く。

 大正9年、広島市生まれ。昭和17年、東大国文科を卒業後、海軍予備学生に。海軍中尉として中国に渡った。21年に復員し、尊敬する作家の志賀直哉を紹介され、文筆の道に。27年、戦時下の日々を自伝風に書いた長編「春の城」で読売文学賞を受賞。同時期にデビューした吉行淳之介さんらとともに「第三の新人」と称された。以後、「雲の墓標」「暗い波濤(はとう)」「軍艦長門の生涯」といったリアリティーあふれる戦争小説を発表し続け、作家としての地位を固めた。

 「米内光政」など海軍軍人を題材にした重厚な評伝を著す一方、紀行文や私小説的な短編小説も多数発表。35年に産経児童出版文化賞を受けた「なかよし特急」など、児童書も手がけた。他の主な作品に「井上成美」「志賀直哉」がある。平成11年、文化勲章受章。日本芸術院会員。本紙「正論」執筆メンバーとしても活躍した。法学者の阿川尚之さんは長男、エッセイストの阿川佐和子さんは長女。

自身の海軍体験をもとに数々の戦争文学を生み出してきた作家の阿川弘之さんが94歳で亡くなった。「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉に師事し、平明で引き締まった名文の書き手として知られた。

 青春時代を過ごした海軍と、戦死した同世代に対する思いは深かった。戦没者は無駄死にだ、とする戦後の風潮に強く反発。「自分の知る本当のことを書き残しておきたい」との思いを抱いたことが、出世作の自伝的小説「春の城」をはじめ、戦争を題材にした作品執筆の原動力となった。代表作の一つ「雲の墓標」は、特攻隊員となった海軍学徒兵の、生と死の間で揺れ動く心情をつぶさに描き、文学性豊かな新しい戦争小説の世界を開拓した。

 太平洋戦争時の3人の海軍大将を描いた評伝「山本五十六」「米内(よない)光政」「井上成美」の提督3部作は、伝記文学の傑作として評価が高い。ともに日独伊三国同盟や日米開戦に反対するなど、時代の熱狂に流されない合理的思考を備えた愛国者だった3人に対する深い共感は、そのまま阿川さんの姿勢にも重なる。

 戦中の軍国主義と同じく戦後の左派的風潮も嫌い、産経新聞「正論」欄で長く健筆を振るった。政治を論じても悲憤慷慨(ひふんこうがい)調にはならず、常に心の余裕を忘れない。「私は右翼も左翼も嫌い」と語り、中庸のバランス感覚と、海軍仕込みの英国流ユーモアを愛した。

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阿川弘之 - Wikipedia - https://goo.gl/wBCr04

作家の阿川弘之さん 死去 NHKニュース - http://goo.gl/OquxlD

下載fgfgf  

 

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66年擋的強颱 「福建欠台灣一聲謝謝」

颱風蘇迪勒造成全台灣多處災情,之後登陸中國福建省讓鬧區成了水鄉澤國,不過根據統計資料指出,近66年來台灣每年幫福建擋了一個颱風,阻擋後颱風強度直降兩級,「福建,真的應該好好感謝台灣。」

微信帳號「看見臺灣」發表了一篇文章,指出福建欠台灣一聲謝謝,因為從統計資料看出,自1949年至2014年間,西北太平洋和南海上生成了385個超強颱風,其中以超強颱風身份登錄的有17個,其中有四分之三的的超強颱風經過台灣,剩下的超強颱風,光顧了海南、浙江、廣東。同在沿海,福建就十分幸運,完全沒有出現在統計表內的登陸地點,從地理位置上看,登陸福建的颱風很難繞開台灣,有了台灣作為護盾,很難有超強颱風登陸福建。

也就是說,近66年來平均每年台灣幫福建擋一個颱風,阻擋後颱風強度直降兩級,平均強度從強颱風降到強熱帶風暴,「福建,真的應該好好感謝台灣。」(即時新聞中心/綜合報導)

超強颱風登陸中國,不過名單上沒有福建。取自網路

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